「発症遅らせることが重要」 慶應義塾大学大学院医学研究科委員長 岡野栄之氏
100歳まで生きることが当たり前となる時代に備え、産経新聞社は「100歳時代プロジェクト」を立ち上げた。各分野の英知を結集し、超高齢社会を生き抜く知恵や備え、社会課題の解決策について議論し提言や指針として発信する「100歳時代プロジェクト会議」を設け、認知症対策など健康長寿社会の道筋を探る「ヘルスケア委員会」を発足させた。
人生100年を生き抜くお金、仕事、生きがいについて議論する「ライフプラン委員会」、超高齢社会を支えるイノベーションや社会インフラ、コミュニティーのあり方などを探る「安心・安全社会委員会」も順次立ち上げる。
ヘルスケア委員は東京医科歯科大特任教授の朝田隆氏、慶應義塾大学大学院医学研究科委員長の岡野栄之氏、国立長寿医療研究センター予防老年学研究部長、島田裕之氏の3氏。第1期のテーマは「健康寿命の延伸と認知症対策」で、来年3月に提言をまとめる。
超高齢社会の最大の課題は、元気に生活できる健康寿命を延ばし、延び続ける平均寿命との差をいかに縮めるかにある。昨年の日本人の平均寿命は男性が80・98歳、女性が87・14歳。これに対し、健康寿命はニッセイ基礎研究所の試算で男性が72・14歳、女性は74・79歳。介護や医療に依存した期間である2つの寿命の差は男性で約9年、女性で約12年と長い。
健康寿命の延伸の大きな阻害要因が認知症だ。認知症の患者数は2025年に700万人を突破し、65歳以上の5人に1人を占めると推計されており、対策は急務だ。
ヘルスケア委員会では、より多くの人が認知症について正しく知り、早期に予防や改善に取り組めるようにする方策を探り、社会全体に「気づき」と「行動」を促す提言を発信する。委員の3氏に認知症対策の課題などについて聞いた。
慶應義塾大学大学院医学研究科委員長 岡野栄之氏
--超高齢社会の最大の課題は、介護や医療に依存せずに暮らせる健康寿命を延ばし、平均寿命との差をいかに縮めるかにあるといわれている
「要介護状態になる大きな理由は2つある。1つは認知症、そしてもう1つは体が動かなくなること。健康寿命を延ばすには、認知症対策が重要であることは言うまでもない」
--医学的な対策として重要なことは
「5年でも10年でも発症を遅らせること。認知症のほぼ半分を占めるアルツハイマー型の一部には、遺伝的要因が影響しているといわれている。遺伝的な背景を把握しておく、つまり、認知症になりやすいと分かっていれば、診断を受け、病気の進行を遅らせる治療を早めに始めることができる。これが平均寿命と健康寿命の差を埋めることにつながる」
--認知症になりやすいかどうかは調べられるか
「遺伝子を調べる検査がある。親が発症すると子供も発症する『家族性アルツハイマー』は全体からするとごくわずかだが、この場合に限れば遺伝子検査で100%確定できる。アルツハイマー型になる確率が高くなる遺伝子も分かってきている。残念ながら、遺伝子検査ですべての認知症の発症を確定することはできないが、ある程度の情報を把握できる。iPS細胞を利用する方法も研究が進んでいる。iPS細胞で神経細胞を作り、アルツハイマー型特有の生化学的な異常を再現して調べるものだ。何らかの遺伝子の異常に基づくものであれば、発症する前に調べられるので、遺伝子の解析と合わせることによって、かなりの発症予測ができると考えられる」
--遺伝子検査以外の診断方法は
「画像診断という方法もある。認知症の多くは、強い毒性を持つβアミロイドとタウという2つのタンパク質が脳内に異常に凝集してたまることによって神経細胞が不調になり、発症する。発症する30年くらい前からこうした現象が始まるとされているが、最初の20年間はほとんど症状が表れない。発症していないが認知機能が低下してくる軽度認知症(MCI)の状態を10年くらい経て、認知症になる。画像検査で脳内の状態を調べることで、どの段階にあるかが分かる」
--認知症を治すことはやはり難しいのか
「いろいろな薬が開発されているが、残念ながら決定的なものはまだない。ただ、軽度認知症の段階や原因物質が蓄積しているが症状が出ていない段階で投薬を始めると、発症を遅らせることができる。アルツハイマー型認知症を撲滅することは難しいが、5年、10年と発症を遅らせることができれば、社会的、経済的な負担の面でも大きな意味がある」
--やはり早期の対応が重要になる
「認知症は早めに“芽”を発見して、いかに発症を遅らせるかが大切だ。ただ、診断を受けて10年後に認知症になると言われると、やはりすごいショックだと思う。費用の面も含め、診断を受けることが社会的なデメリットにならないようにする必要がある」
--健康寿命を延ばす上で医学が果たすべき役割は
「(発症する前の段階で医療介入する)予防医療、先制医療がより重要になってくる。複数の診断を組み合わせ、経年変化で見ていく。ビッグデータやAI(人工知能)を使って予測の精度を高めていくことも必要だ。予防効果のあるサプリメントの開発やiPS細胞を使った先制医療の研究などにも取り組んでいるところだ」
■おかの・ひでゆき 昭和58年、慶應義塾大学医学部卒。大阪大学医学部神経機能解剖学研究部教授などを経て平成13年から慶應義塾大学医学部生理学教室教授、27年から29年9月まで同医学部長。29年10月から同大学院医学研究科委員長。主な研究分野は分子神経生物学、発生生物学、再生医学。iPS細胞を使った脊髄損傷の再生医療などの研究に取り組んでいる。日本医師会医学賞、「幹細胞システムに基づく中枢神経系の発生・再生研究」文部科学大臣表彰(科学技術賞)など受賞歴多数。著書に『ほんとうにすごい! iPS細胞』(講談社)、『脳をどう蘇らせるか』(岩波書店)など。